過渡期 掲示板 過去ログ-4-

5月 4日(日)11時55分06秒517()040246

 


ホームページ更新 投稿者:高望み  投稿日: 517()040246

 カルチュラル・スターリニズム(意味無し)のコーナーを新設しました。
長年にわたり書きためたわずかばかりのサブカル系の文章を掲載しました。


意味は 投稿者:高望み  投稿日: 516()233244

求めていますよ、偏執的に。だからポストなんていうのは生理的に嫌い。

 と、書き込みを読み返したら、そういう問題でもなさそうですね。というか、この文脈で「意味」を取り出されても、意味ないじゃん。


なんか 投稿者:たみちゃん  投稿日: 516()225139

思いっきりここで、どこぞの仇討ってる気がしますが、自覚ないな〜相変わらず。
・・・自覚を促しているわけではありません。

>「ヤワな反動で中味がない」、とかいうのもあんまり意味がないように思ってしまう自分がいる。

意味を求めているんですか!・・・トカイウ

編集済


落語の衰退は 投稿者:高望み  投稿日: 516()211450

正直言って、言葉狩りとかそういったところにあるとは思えないんですね。そんなの左翼が権力の弾圧と世の中の「右傾化」で衰退したというのと同じじゃないでしょうか。

編集済


ビートたけしには 投稿者:高望み  投稿日: 516()211006

青少年期特有の濃い思い入れがあるんです。1981年に浪人してた年、オールナイトニッポンでたけしのを毎週聴いてました。放送の中でこのまま夜が明けたら紀伊國屋書店で、『ビートたけしの三国一の幸せ者』という本を先着50名にサイン入りで、というので並んで買った僕なのでした。

 1985年に出た処女短編集『あのひと』収録の「ブラインド・コンサート」にて、明大生のたけしが中大社学同のメットをかぶってデモに行ったという話しを読んだときは、訳もなく嬉しかったものです。

編集済


歌丸師匠と円楽一門 投稿者:高望み  投稿日: 516()210320

>暴言と知りつつ言ってしまえば、三遊亭円楽一門て、落語界の日共的なイメージです、私には。
革新ぶってるけどメンタルにはヤワな反動で中味がない、というか。>

 桂歌丸師匠については確かにそうですが^^;(でも後藤真希ちゃんが、「おじいちゃん、歌丸師匠に似ているの、といったから、歌丸師匠もアットホームに^^」「サラダ記念日」の音律で)

 「日共」とか「民青」に対する三派・全共闘シンパ系の悪イメージって、詰めると結構まちまち(革マルについてもそんな気が)。上記は僕的には「民青」的ではあるが、必ずしも「日共」的ではないです。日共はなんだかかんだといっても宮崎学、金子勝もいたところですからね。

 それと、80年代以降のテレビ的表現の中で、「笑点」的な表現に対して、「ヤワな反動で中味がない」、とかいうのもあんまり意味がないように思ってしまう自分がいる。ここは「マスイメージ論」世代なんですかね。

>楽太郎の悪人ぶり

 その手の話しは落ち話しとしてか聞いても意味ないでしょう。誰ぞによれば、僕なども冷血であることに深く頷くそうですから(笑

編集済


>時代精神の表現たりうる表現者 投稿者:たみちゃん  投稿日: 515()175832

ビートたけしは、テレビから外れませんでした。
落語は放送禁止用語でテレビからハズされていきましたし、「笑点」的な「観てても安心」な番組でしか落語が聴けないと、緊張感のない古い笑いが落語ってことになってしまいましたね。
90年前後に談志が日テレの深夜番組で、落語的な笑いのトーク番組をやってましたが、音声消えてる部分が多くて、何言ってんだかわからなかったりして。
 いずれにせよ落語はライブなので観客の質と芸人の質が切磋琢磨しなければならないのですが、例えば、小朝が地方での独演会のマクラで皇室ネタをやった時には、観客が引いてしまっていました。東京などではドッとウケたところで。


>楽太郎は青学の叛旗 投稿者:たみちゃん  投稿日: 515()173225

とすると、高橋順一さんとかとお知り合いなのでしょうかね。

 暴言と知りつつ言ってしまえば、三遊亭円楽一門て、落語界の日共的なイメージです、私には。
革新ぶってるけどメンタルにはヤワな反動で中味がない、というか。
楽太郎の悪人ぶりは有名らしいです。金田一だん平「落語家見習い残酷物語」に詳しい。


有事法制反対闘争(焚火派からの転載)  投稿者:ザーカイ  投稿日: 515()012828

マルチポストですみません

/16国会請願デモ 投稿者:1日共闘反戦中年委  投稿日: 5月15日(木)01時20分46秒

ヤフー!ニュースより
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/emergency_legislation/
衆院の有事法制特別委員会は14日午後、与党3党と民主党による有事関連法案の修正案を、民主党と自由党の賛成も得て可決した。

すでにココまで進んでしまった情勢ではありますが,「断固として有事法制に反対している人間がいるんだ!」というところを国会に示そうではありませんか!

/16(金)18:00開場 18:30開会 19:00〜出発
集合場所:星陵会館 地下鉄永田町駅 6番出口 日比谷高校となり

デモコース:星陵会館参議院新橋日比谷公園解散(予定)
http://www.noyuji.jp/

http://www.noyuji.jp/


(無題) 投稿者:高望み  投稿日: 514()203434

 たみちゃんは結構落語通なんですね。僕は正直言って、そんなに詳しいわけではありません。
 引用した本によると円朝の落語は牡丹灯籠はじめシリアスな怪談もので、それがまさに明治以降の世代交代とともに主流が変わっていったことの時代背景として、論じられているようです。

 落語家は時代の変化に敏感たろうとしているのは、たみちゃんの紹介から伺えますが、なかなか時代精神の表現たりうる表現者というのは、70年代以降は登場していないようですね。
 そういえば、楽太郎は青学の叛旗だったとか。(一時代の精神の体現者たりえたビートたけしは明大生の一時期、中大社学同のシンパだったようですが。)

>>「宗論」という落語 
 今ならさしづめ「アナタ、ケーサツト メシクイマシタネ」というところか。


「宗論」という落語 投稿者:たみちゃん  投稿日: 514()173454

大棚の主人と若旦那の宗教対立の話で、番頭さんが間に入ってとりなすという筋で、業を煮やした番頭が最期にどうなるかがさげ。
 伝聞ですが、戦前古今亭志ん生がやったとき番頭さんはナチスに入ったとか、70年代に志ん朝がやったときは共産党に入ったで、私が観た小朝の宗論では、若旦那が「あなたかーみをしんじますかぁ」とやりつつ(さんまのパクリ)、最期に番頭さんが「この壺を買ってください」(統一教会)というさげでおわりました。

編集済


無理やり落語に引き寄せて 投稿者:たみちゃん  投稿日: 514()171734

>「他人によって主導され、自分の知らないうちにどんどん進展していってしまう、<世の中>に対するとまどいとしての失語ではなかったのだろうか。」
>「彼らの頭のなかでは、次々におこる世相をトータルにつかむことができずに、そのそれぞれの断片が表層として離脱して連結している。」

 落語とは常にそういうもの、不明な苛立ちに対する覚醒と自認、自嘲としてあったのではないでしょうか。
 今的には、苛立ちとは立川志の輔、自嘲とは春風亭小朝、自認としての業の肯定が立川談志、ですかね。
 
 小朝の大師匠林家正蔵作の「死ぬなら今」という落語も、筋はともかく、地獄を描きつつこの世を映し出すのは「地獄旅行」と同じです。バブル当時小朝が高座にかけたときのネタは、針の山がゴルフ場になっていて金持ちの亡者がゴルフをしているとか、ポーカー賭博をしていた閻魔と鬼たちがおとり捜査で捕まって、地獄に怖い人は誰もいなくなりました・・・で「死ぬなら今」というさげがそのまま題名なのでした。

編集済


プロフィール、 投稿者:高望み  投稿日: 513()172022

補充しました。名前、氏名をクリックすると、人の褌で……という具合になっております。

http://bundpro2.fc2web.com/profile.htm


こっちではご無沙汰しております 投稿者:臨夏  投稿日: 510()052333

プロフィール拝見しました。

論文以外の、著作のリストは作りはれへんのでしょうか?
作ってもろたらありがたいんですが。


こっちに持ってきた司馬は読み尽くしたので、
宮城谷昌光なんか読んでます。
『天空の舟』上下で、夏と殷との斗争の歴史モノです。
考証はなんやらおかしいですが、人物の性格描写が素晴らしいです。
ご参考までに。


蘇る不死鳥派 三 投稿者:高望み  投稿日: 510()030145

 今、速記本を読んでも確かに面白い。なぜこれが面白いのだろうか。それは源さん、八つァん、婆さんという人びとの世界、つまりこれを聴く聴客たちの側の世界、ここではその観念としての地獄・極楽という空虚な観念までもが、明治という時代によって押しつぶされてゆくことに対する自嘲という共感によっている。この噺を面白いと感じることの裏には、学問とも、新田開発をする岩崎とも、鉄橋工事を請負う清水とも、寺のなかに幼稚園を作る坊主とも関係のない人びとのとまどいがある。こうした人びとにとっては、開化の諸現象の一つ一つが、相互の連関性を失って、表層として離脱し、断片的につながっている。そして、種々の開化の諸現象のなかにとり残された自分を自嘲する。そういう人びとの噺として、円遊たちの新しい落語があったのではないだろうか。
 戦後の歌笑などもそういうものを持っていたように思える。(引用終わり)

編集済


蘇る不死鳥派 二 投稿者:高望み  投稿日: 510()030040

 たとえば、ここに三遊亭円遊の「地獄旅行」という落語がある。(中略)

 [八つァんと源さんが、ご隠居にどこにで行ける薬をもらって、地獄見物にいく。]
源「お前さん、三途の川のお婆ァさんかい」
婆「ハイ、そうでございます。この節はもう、亡者さんが少なくなって不景気でいけません。西南事件の時分には随分血だらけな亡者が来ましたが、この節は大平になって、まことにどうも稼業が暇で困りますヨ」
源「お婆ァさん、あんたにうかがつたらわかりましようが、今でもエンマ様は赤いツラで装束を着ていなさるかい」
婆「どういたしまして、この節はおエンマ様もなかなかニガ蟲をかみ潰したようなお顔をしてては役がつとまりませんで、なんでも世間の交際を廣くしないといけない、学問がなきやいけないてんで、学校へ進学なさつて二年生でしたが、この間の試験で落第なされた」
源「どうも驚いたねエ。で服は変りましたのかい」
婆「お前さん、この節のおエンマ様はスコツチの背広に鳥打帽子をかぶつて、漢竹のスコツチ[ママ]を持つて、いたずらしてらつしやるヨ」
源「ヘエー、不思議だねえ。それから婆さん、針の山はどうなりましたか」
婆「針の山は岩崎さんの大旦那がおいでになって、なかなかの財産家でございますから残らず買つてしまつて、新田開発をなされて、あとにサーベルを植えつけたところ大層芽が出て国益になつとります」
源「それで血の池は、どうなりました」
婆「あれは人造肥料会社へ売り渡して、血をかい出してあとが埋地になって、今は劇場、寄席その他いろいろの興業があつてたいしたものですヨ」
源「そうですかい。で、あの賽の河原はどうなりましたか」
婆「ハア、あすこは幼稚園になつて地蔵様が教師になつて大変ひらけとります。子供が一、二、三、南無、阿弥、陀仏なんて号令かけて体操しておりますよ」
源「三途の川に橋がかかるんですかい」
婆「ハア、横浜の清水さんの大旦那が来て、二つ返事で工事を請け負つて、まア、立派な鉄橋ができるそうですヨ」

編集済


蘇る不死鳥派 一 投稿者:高望み  投稿日: 510()025936

新田直『夢幻と狂死 三遊亭円朝を求めて』現代思潮社、1972年5月30日刊行、pp.190-194、より
 (1948年3月 栃木県大田原生まれ 『甦る不死鳥』主宰(当時))

 円朝の死ぬ以前、すでに円朝の落語家としての時代は終わっていた。かといって円朝の人気が落ちたのではなく、円朝は神格化されてしまったといってよい。円朝の時代が過ぎたのち、明治十年代の中頃以後、これまでの噺と全く異なった傾向の話が出てくる。明治の新しい人びとは、人情噺や怪談噺などは好まなかった。味は薄くても、ワッと笑えるものを求めていった。
 (中略)円遊・円太郎・万橘・談志らにみられたのは、新しく流れ込んだ東京人・旧江戸町人双方の民衆にのしかかった、他人によって主導され、自分の知らないうちにどんどん進展していってしまう、<世の中>に対するとまどいとしての失語ではなかったのだろうか。
 だから彼らの芸に共通していえることは、ひどく目新しい風俗と、完全に馬鹿になってしまった自己の二つを持っているということである。
 たとえば、「へらへらへったら、へらへらへ、箱根にお化けはいまはいない。あったらほんとにこわかんべ、へらへらへったら、へらへらへ、はらはらはったら、はらはらは、」と赤手ぬぐいの頬かぶり、緋ぢりめんの長襦袢に赤い扇で踊った万橘に、うちつづく<他人>に主導された世相の変動のなかで、それに乗って上昇することのできない、民衆の軽いニヒリズムと、とまどいを見ることができる。彼らの頭のなかでは、次々におこる世相をトータルにつかむことができずに、そのそれぞれの断片が表層として離脱して連結している。

編集済


多摩ちゃん 投稿者:高望み  投稿日: 510()025804

が、先日、NHKのニュースにまで取り上げられていたのには、さすがに脱力感が襲ってきた。どうでもよい白装束の集団とかね〜。

 ついこないだまで、遠いとはいえ狭くなった地球のどこかで戦争をやっていたのにとか、百年続いた国立大学をなくそうという法案が国会で審議中だとか、個人情報保護法案が衆院で通過してしまったとか、有事法制法案もそのうち通りそうだとか、さすがに、近代日本、戦後日本の枠組みを大きく転換しようという、この時期にこれはいくらなんでもなんなんだ……

 こないだ乗ったタクシーの運転手さんが白装束のことで話しかけてきたので詰まらないから、国立大学が今年でなくなるって知ってる?て聞いたら、それは初耳だ、ますます学費が上がって親御さんは大変ですね〜とビックリしていたけど。

 多摩ちゃんやどうでもよい白装束の集団の報道の投げ遣りな垂れ流しと、それをそこそこ見続けている視聴者たちにとってそれらは、

 「他人によって主導され、自分の知らないうちにどんどん進展していってしまう、<世の中>に対するとまどいとしての失語ではなかったのだろうか。」
 「彼らの頭のなかでは、次々におこる世相をトータルにつかむことができずに、そのそれぞれの断片が表層として離脱して連結している。」

 これは『無限と狂死 三遊亭円朝を求めて』という本からの引用だ。明治初年の「彼ら」とは、現在ではまさしく、われわれ自身のことである。

編集済


ザーカイさん 投稿者:高望み  投稿日: 5 9()184933

>>類としての人間同士が生存競争してきたにも関わらず,今ここに存在できているのは類の存続という戦略的な利他的行為があってこそ。
 自然発生性の大衆運動を夢見るがあまりの願望的妄想かもしれませんがね。>>

 なるほど、ザーカイさんには、本来的な意味で、生物種的な連帯を信頼したクロポトキン系統のアナキズムが根底にあるんだね。それは身体性に根ざすよき資質だと思いますよ。それと頭の理屈は別立てにしなきゃ仕様がないけど、身体性のよき資質を窮屈に押し潰すようではない波動の言葉をみつけられるといいんだと思うけどね。

 


なかなかいいことを仰有る^^ 投稿者:高望み  投稿日: 5 9()183859

「国の発言不用意」と批判 白装束問題で田中知事
 長野県の田中康夫知事は9日の記者会見で、白装束の団体「パナウェーブ研究所」についての国の発言に対し「団体はオウムの初期のようであるというが、そうであるならばその根拠をきちんと示すべきだ。不用意な発言で、逆に住民の危機感をあおっている」と批判した。
 また知事は「彼らを追い詰めるということが、逆に私たちが予期しないような、双方にとって好ましくない展開をもたらさないとも限らない」と述べた。(共同通信)


他者への想像力については 投稿者:高望み  投稿日: 5 9()150304

またいずれ。


ロトの妻 投稿者:高望み  投稿日: 5 9()150223

 アブラハムの親戚のロトの家族だけソドムから脱出できたのに、ロトの妻が後ろを振り返ったために塩の柱になってしまったという神話は、数千年来、いかなるホラー作品も乗り越え不可能な最高峰の一つであろう。不条理・不可解の極致といってよいエホバ・ワールド全開の神話である。

 おそらくは、「後ろを振り返る」というのは、ロトの妻が家財道具を取りに戻ったとか、ソドムの実家のものにも知らせたいとか、そういったありがちの理由でソドムに舞い戻ったということが、古語の転移の過程で変容してしまったものであろう。塩の柱になったというのも、古代の特定地方の言い回しで何かあったものが、誤伝を重ねて意味不明になってしまったものであろう。

 そういう眼で旧約聖書の当該箇所を読み直すと、ようするにアブラハムの部族が神の啓示とやらでソドムとゴモラを略奪・破壊するにあたって、親戚関係のロトの家族だけ脱出を見逃したが、ソドムに戻ってしまったロトの妻は虐殺の巻き添えになってしまったという類の話しにみえなくもない。

 そのように平板に解釈し直された伝説のパターンと、旧約のいまあるとおりの伝説との位相の差が、そのまま旧約ワールドの不可解な特質を示しているといってよい。

編集済


しつこくてスマソ 投稿者:ザーカイ  投稿日: 5 9()013650

>「他者への想像力の欠如」云々は、 

そりゃそうだね。物理的には他者は確実に存在しているわけだけど,他者の内面は永遠に出会えない待ち人のようなもんですからね。他者から見ての「私」も同じような存在。理解出来ると言うほうが不遜なのかも。
 その「わからなさ」が不安なため「真空がお嫌いな」神ならぬ人間が自己イメージを他者に投影することでわかったような気になる、てことか?
 先日、不安をな気分になりその不安をずーっと観照していたら、そこに自分の姿があった。という夢を見ました。
なんか象徴的だな〜と思いましたよ。

ただ,なんというか「シンパシー」という語源が,「他人の痛みが自己の痛みのように感じる」なんだそうですが、 そういうものは小さな局面では結構正しい感じ方なのではないか・・・などと思ったりもする。それを感じてどう振舞うかは又別の話ですが・・・。

 そんなこんなで理屈では高望みさんのいう通りだと思うけど,そこまで人間を頭の理解だけの存在と思わない当りが私のオカルティックなところ。類としての人間同士が生存競争してきたにも関わらず,今ここに存在できているのは類の存続という戦略的な利他的行為があってこそ。

 だからそこまで突き放した視点は持ち得ないな〜〜と思う次第。自然発生性の大衆運動を夢見るがあまりの願望的妄想かもしれませんがね。こりゃ又アナクロか(苦笑)


「他者への想像力の欠如」云々は、 投稿者:高望み  投稿日: 5月 8日(木)21時35分26秒

 

「他者」は自分のことなど少しもわかってくれない存在だし、まったく同様に自分も「他者」のことなどほんとうには知り得ないのだ、という所から出発するのでなくては、トンデモない全知全能性の強制へと転化してしまうよ、という意味です。この論点、堂々巡りになりやすいので、気長に。

 

--------------------------------------------------------------------------------

他三本の感想 投稿者:高望み  投稿日: 5月 8日(木)20時28分00秒

 

 ほかに、『柳生一族の陰謀』、『ソドムとゴモラ』、『ハムナプトラ』もレンタルでみた。深作欣二監督の『柳生一族の陰謀』は1978年の作品で、東映映画的な俗っぽい作りの中にも、権力者の悲哀と権力に踏みにじられ蹴散らされる者たちの怨念とが重層的に描き込まれていて、戦後焼け跡感覚、あるいは70年代感覚が凝縮された逸品であった。

 

 『ソドムとゴモラ』は、1950年代ハリウッドのユダヤ系映画ということになろうか。旧約聖書の有名な謎めいた伝説を、自由な着想の脚本で描いているが、滅びゆくソドムの町を振り返ったロトの妻が塩の柱となる、というなんとも不可解な伝説は、その不可解さのまま描かれている。

 

 『ハムナプトラ』は、二、三年前のハリウッド映画だと思うが、悪い意味での右翼的感性にみちみちていて、じつに不愉快な映画であった。たとえば、これは笑える部分ではあったが、復活した邪悪なるものに襲われそうになった登場人物が、キリスト教、イスラム教、仏教の祈りの言葉を次々と唱えてもいっこうに効き目がなかったのだが、いよいよ食い殺されそうになる寸前、さいごにユダヤ教の祈りの言葉を口にしたら、「なんだ奴隷の言葉ではないか」といって、食い殺さずに奴隷にしてしまうというシーンがあった。これは、『ソドムとゴモラ』とはまた随分と対照的である。こんな反ユダヤ主義ジョークがハリウッドでも許されるのか、と少し意外な気がしたが、どうもそういう目でみていると、全体に親ネオナチ的とまではいえないにしても、右翼的な感受性にみちみちていたる気がしてきた。アラブ民衆への露骨な差別視、カリカチュア的な軍人タカ派感覚の称揚など、一通り揃うものはみんな出揃っていた。こういうのもまた、アメリカの社会的感情の一側面なのであろう。

 他の国々では、右翼的なものと前近代的な要素とが複雑に絡まり合っているために、右翼的なものの中にも民衆解放的な心情が込められていたりするものである。だが、アメリカのように前近代社会をもたないところでは、右翼的感受性というのは、きわめて純化された形態であらわれるようである。

--------------------------------------------------------------------------------

衝撃的だったビデオ映画「ドリーム・チーム」 投稿者:高望み  投稿日: 5月 8日(木)20時26分07秒

 

 先日、レンタル・ビデオで『ドリーム・チーム』という驚くべきビデオ映画を見た。これは1989年の同名の映画のことではなく、B級の(もしかするとテレビドラマかもしれない)お色気アクションもので、1999年か2000年頃の作品のようだ。B級お色気ものとしては上出来の作品といってよいだろう。

 ↓

ドリーム・チーム 2000/03/03  H160V284

 監督・脚本●ディーン・ハミルトン 出演●アンジー・エバーハート、エバ・ハリナ、マーティン・シーン、トレイシー・ビンハム、ジェフ・カーク HRSフナイ

 

 しかし、何が驚くといって、これは99年か2000年のはじめの作品なのに、そこに展開されているB級ストーリーの設定自体が、あまりにも2001年9月11日と、それ以降の現実世界に展開した出来事と酷似していたことだ。

 

 死の商人が、旧ソ連の炭疽菌兵器の技術者と元IRA系の爆弾製造技術者を警察の手から奪取して、大量破壊兵器を開発させる。それを、アラブの大富豪の若い一族で国際テロリストの資金援助者に売りつけようとする。そのときの会話に、かれらはかつてイラクのバグダッド(!)における国際革命会議で会ったことがあるという台詞が出てくる。そして、死の商人は、なんとニューヨークの世界貿易センタービル(!)めがけて炭疽菌爆弾をミサイルで打ち込もうとするのである。

 

 世界貿易センタービル、炭疽菌テロ、アラブの大富豪の一族、そしてイラク・バグダッド!

 なぜ9.11テロの直後に、唐突にブッシュ大統領の頭に「ビン・ラディン」のみならず、「イラク」までがよぎったのかが謎とされてきた。このビデオ映画をみながら、もしかして、このB級お色気アクション作品をブッシュも奥方に隠れながら食い入るようにみていたのか?そのせいで……という空想を禁じ得なかった。まさか、まさか。あのブッシュ大統領の脳髄とはいえ、そこまでのことは!といった常識論をもって否定しえないほど、9.11以降にブッシュ大統領が披瀝してきた現実世界の認識との酷似ぶりに、ただただ絶句してしまったのであった。

--------------------------------------------------------------------------------

もともと 投稿者:高望み  投稿日: 5月 8日(木)20時25分03秒

 

噛み合ってないところからはじまったところがあるからね。↓

編集済

--------------------------------------------------------------------------------

この間の議論の印象 投稿者:たみちゃん  投稿日: 5月 8日(木)17時45分26秒

 

一般的・抽象的にしか語らない高望みさんと、具体的にしか語らないザーカイさん。

 

 議論の末に何があるのか・・・ってことに積極的なイメージをお互いがもたないと、噛みあわせる努力もしなくなりますね。ギャラリーもその議論に魅力を感じない。

 友人(といっても65歳くらい)から「その昔の福田恆存の論争はわくわくした・・」と何度も聞かされます。。。いや、だからどうとは・・・

http://www.criticalspace.org/special/karatani/shincho9502.html

--------------------------------------------------------------------------------

風邪引きなので部分的に 投稿者:ザーカイ  投稿日: 5月 7日(水)22時02分23秒

 

>そんな一般論が構わないのなら、ケーサツとメシを喰らうぐらい図太い連中から21世紀の新しい社会運動の芽が出てくるかもしれないじゃん、という一般論も構わないことになるでしょうよ。

そうですね、しかし私は他団体との共闘の関係でケーサツと会食を問題にはしてますが、「チャンスな連中に未来がない」などといったことはないですよ。ですからそういう一般論もありでしょうね。つーか、期待していたりして・・・(^^)

 

>権力を論ずるのに哲学的な論じ方ほど無意味なものはありません。世俗のものは世俗的に考えるしかないですね。

そりゃそうですね。

 

>「手続きなしに振舞ってもさほどおかしくない」。なんというか、これはムチャクチャな理屈ですよ。

 程度によりますよね。実際あの隊列挺団がやったことって警察の押す手をはらったりとか、デモ隊列に割り込んできた(盾で許可した一車線内より奥に押しこんできた)ことへの口頭及び押し返しての抗議くらいですよ。

 その程度であることはいろんな板で書いて来てますので、それを前提に「手続きなしに振舞ってもさほどおかしくない」と書いた訳ですよ。全くのフリーハンドだなんて思ってません。ここはツコンでもらわなかったらヤバかったです(^^;)

 

> ここは、「他者への想像力の欠如」ということの理解の仕方にズレがあるのかもしれないとも思う。「他者への想像力の欠如」をあげつらうことで、「想像力の欠如した他者」への抑圧の論理が、これでは露骨に出てきてしまうと思う。

とのレスはなぜ?と思います。「「他者への想像力の欠如」をあげつらうことで、「想像力の欠如した他者」への抑圧の論理が、これでは露骨に出てきてしまうと思う。」はよくわかるつもりですが・・・、なんか堂々巡りになりそうな気がするね。「他者を想像する力」なく「想像力欠如した他者への抑圧の論理」をあげつらう・・・みたいな・・・。

 高望みさんも私もあるイメージをなにかに投影して、現実とズレまくっているのかもね。たとえば

>オジサンたちの間では、「チャンスって何?」という関心はあっても、「赤黒系」的なものについては「所詮、際限もない思想的な縮小再生産」という印象しか存在していないのではないでしょうか。

とかね。付き合っている人間の層が違うからかもしれませんが・・・。

私にとってはチャンスみたいなものも、実行委がいうところの赤黒系も興味共感においては大差ないですね。ただ、見てきた事実ははっきりいってやらないと赤黒系が「所詮、際限もない思想的な縮小再生産」と何もかも捨てて一括りにされちゃうからね。

 個別ACAには「変だよ」と思うところは集会などでいっておりますし,チャンスはどこの隊列かもわからない(目立たないもん,特徴がないから)ので,話す機会を得ていませんが,それっぽい雰囲気のピースフルな人たちとはアメ大前で少ない人数で一緒に抗議したり,間が開いたときに歓談したりしましたよん。ちなみにアメ大前抗議だって道路使用許可出してやっているわけではないと思いますよ。道路に寝泊りしている奴だっている訳で・・・。これも「手続きなしの振る舞いじゃないか」と思うけどね。

 私は何かきちんとした思想の軸があるわけではないので、「危うい」とは思ってますが,肌身で感じないとわからないタイプですからコリャしょうがないですね。

思想・知識から逆算した予測に従って行動っていうのも、どうもうそ臭いしね。部外者と位置付けする人からの意見聞いている分には、極端にズレずにすむので楽といえば楽。高田氏からだって何らかよいサジェッションももらえるかもしれないし。

こういう浮き草気分が、チャンスや大学・生活拠点から運動の端緒を奪われている(と思っている)寄る辺ない人らに興味を持ってしまうのかも・・・。

 

反戦運動一般には肩入れしたいですが,ノリの違うそれぞれをいずれも過剰に肩入れしたくはないですね。 私も所属という意味ではどこに対しても部外者で自分の組合内での活動以外は特に内部者だとは思っていませんよ。でも、話したいとか話し聞きたいとか,言われれば,ケーサツや公調でもない限りお話はします。その縁である種のネットワークが出きれば,その内部者なのかもしれません。

 何かを問うことですでにある種の内部者であるとも思いますし。それに規定されたくはないと思いつつも、望むことと望まれることが逆転することはままあるわけで・・・。因果にはつき合うタイプでもあります。因果者ですからね。

 

>実行委の人との話し合いは、きちんと頑張ってきてください。>>ザーカイさん 

 とりあえず、たみちゃん高望みさんのエールを背にやるだけやってみます。また報告ごに寸評頂ければこれ幸い。

さて風邪治さないとな〜〜

--------------------------------------------------------------------------------

近藤=まんけんさんへ 投稿者:ザーカイ  投稿日: 5月 7日(水)20時32分08秒

 

 いろんなハンドルでいろんな板に御意見頂き感謝です。串も刺さずソースが丸見えでいろんなハンドルを使う理由がわかりませんが,特段の意味はないんでしょうね,きっと。

--------------------------------------------------------------------------------

ザーカイって? 投稿者:近藤  投稿日: 5月 7日(水)19時22分31秒

 

ワールドピースナウ実行委員会の高田と話すとかかっこいいこと

いっていますが、ザーカイとか趣味者系って、デモのとき別に

なーんもやっていないでしょう。なんか実行委員会と揉める

ことあるのでしょうか?たまたまかっこつけでメットかぶったら

警察にチェックされ、実行委員会にも言われたら、怒った

とか、その程度のきわめてレベルの低い単なる趣味者では?

パクられるようなこともしているわけではないし、機動隊の

縦なんかこわくって、近寄りもしなかったようですが?

恥かしいから黒ヘルとか赤ヘルやめてね。

黒ヘル赤ヘルかぶっていた人みんな笑っているよ。

根性あるならジグザグでもやってみたらいかがでしょうか?

--------------------------------------------------------------------------------

こんどは 投稿者:たみちゃん  投稿日: 5月 7日(水)17時18分18秒

 

肘鉄だけではすまないかも。気をつけて>話し合い>>ザーさん

--------------------------------------------------------------------------------

それはそうと 投稿者:高望み  投稿日: 5月 7日(水)17時15分10秒

 

実行委の人との話し合いは、きちんと頑張ってきてください。>>ザーカイさん

--------------------------------------------------------------------------------

ザーカイさんへ その三 投稿者:高望み  投稿日: 5月 7日(水)17時07分02秒

 

>>基本的にいつそんな契約したかは知らないが,そういう我々個々の力を「委任」したことになっているのが<権力>だと思ってます。

 

 天壌無窮の悠久の過去においてでしょうね^^;

 

>>こういうところから<権力>を見た時「(相手が誰であれ)不当は逮捕は許せない」「そういう風に力を使えなどと「委任」した覚えはないぞ!」と言いたいし,権力をどう哲学的に捉えたらいいのかわからなくとも「対策は打っておくべきでしょう。」と思う。

 

 べつに「こういうところから<権力>を見」なくとも、ブルジョア法制度のもとでの憲法・法律・条例などに反した不当逮捕は「許されない」んですけど。

 また、その場合、「そういう風に力を使えなどと「委任」した覚えはないぞ!」というのは、国会で法案審議を媒介として言わなくては意味がない、というのが制度上の手続き形式ですね。

 権力を論ずるのに哲学的な論じ方ほど無意味なものはありません。世俗のものは世俗的に考えるしかないですね。

 

>>そこまで俯瞰的,部外者的に客観性を保持されて偉いな〜〜と思います。

 

 それこそ「他者への想像力が欠如」ですよ。私はこの件にかんして、端的に部外者いがいの何者でもないんですから。ザーカイさん自身のテンション、周囲の状況を地方在住の「他者」に投影しているから、そんなふうに転倒してみえてしまう。

 

>>でも、権力がその力を使い誤っているのをなんども目の当たりにすれば,「<委任した>力を返せ!」と手続きなしに振舞ってもさほどおかしくないんじゃないかな?と思いますよ。だっていつどういう手続きで私たちが権力に力を委任したんでしょうか?

 

 「手続きなしに振舞ってもさほどおかしくない」。なんというか、これはムチャクチャな理屈ですよ。「赤黒系」とは文脈が違うのかもしれないが、少なくともアナ黒系ではある。

 「イマジン」の歌詞は、もちろん受け取り方にもよるわけだけど、少しアブナイかもしれないと思います。

編集済

--------------------------------------------------------------------------------

ザーカイさんへ その二 投稿者:高望み  投稿日: 5月 7日(水)17時06分29秒

 

>>またなぜ、興味関心を示しつつ、

 

 ? ザーカイさんや野次馬さんの立場が、どうも赤い〜さんのように純粋な趣味者的なものとは違うようにもみえるし、そこに「赤黒系」へのスタンスが絡んでいるようにみえたから、語義説明を求めただけですが。オジサンたちの間では、「チャンスって何?」という関心はあっても、「赤黒系」的なものについては「所詮、際限もない思想的な縮小再生産」という印象しか存在していないのではないでしょうか。

 

>>もちろん一般論としてどんなところからもファッショは発生できるわけで

 

 そんな一般論が構わないのなら、ケーサツとメシを喰らうぐらい図太い連中から21世紀の新しい社会運動の芽が出てくるかもしれないじゃん、という一般論も構わないことになるでしょうよ。

 

>>「他者への想像力が欠如」した時、自分の「力」を使い誤る。これは既成左翼であれ、「運動の素人で〜〜す」も創価学会も私もみな同じでしょう。

 

 ここは、「他者への想像力の欠如」ということの理解の仕方にズレがあるのかもしれないとも思う。「他者への想像力の欠如」をあげつらうことで、「想像力の欠如した他者」への抑圧の論理が、これでは露骨に出てきてしまうと思う。

編集済

--------------------------------------------------------------------------------

ザーカイさんへ その一 投稿者:高望み  投稿日: 5月 7日(水)17時05分38秒

 

>>一回りして「そんな権力論マンガだよ」もうそ臭い。

 

 私は、以前の書き込みで、非常に一般的な言い方で次のように書いたわけです。

 

 「国家権力という巨大組織のオソロシさのなかに、そうした側面がまったく存在しないなどということを言っているわけではありません。その時点時点で、さまざまな政治情勢、法制度の構造、マスコミ世論的な動向、民衆の感情等々の絡まり合いのなかで、相対的にみられなくてはならない」

 

 これは具体的にはまだ何も言っていないわけですが、たいへん多面的で複雑な現実の国家権力をみていかなくてはならない、という心構えのようなことをいっています。このレベルの言明もうそ臭いといわれると、仏教的な唯識論や懐疑論の世界に入ってしまいますね。たかが世俗の国家権力の認識の次元においては、それは高尚すぎるというものでしょう。

 以下も、まったく同様です。

 

>>高望みさんも自分の知識や見識の自明性を疑ってない点では、左翼の心性と同じ構造にいると思うわけです。

 

 自明性を疑え、というスローガンだけいくら掲げても、それが本当になされるかどうかはわかりません。それは、教条主義はいかん、というのがレーニン=トロツキー=スターリン主義者たちの究極の教条であることとどこか似ています。結局のところ、自分の見解に対して謙虚で不安がちであるかどうか、ということと、レーニン=トロツキー=スターリン主義いがいのさまざまな思想や学問の知識に、不断に目を開いていること以外には、自明性を疑っているつもりの自明性を不断に対自化していくことはできないでしょう。したがって、自明性は相対化されるものであって、自明性を絶対的に断ち切れるという発想自体がまちがいでしょう。

 絶対的に自明性を疑っているかのような立脚点があって、そこに安心立命していられるという発想があれば、それはまさしく、自明性を疑っていないわけです。

編集済

--------------------------------------------------------------------------------

(無題) 投稿者:ザーカイ  投稿日: 5月 7日(水)08時07分43秒

 

たみちゃんが議論の相手ではなく,たみちゃんの交通整理に乗っているわけです。たみちゃんの質問に答えるかたちで高望みさんにいっているんですよ。

 

><3>高望み氏が「アナ黒系」のファッショへの可能性を言い当て、あたかもそれを理由に切り捨てていることが、同じく「盾」のこっちにいるものとしては捨ておけん、ということなのでしょう、か?

 

 いいえ,全く違います。権力に対する認識の違いはあって当たり前なのだと思っています。私のもどかしさは左翼の持つ「自明性」「心性」も疑わしいが,一回りして「そんな権力論マンガだよ」もうそ臭い。

 高望みさんも自分の知識や見識の自明性を疑ってない点では、左翼の心性と同じ構造にいると思うわけです。

またなぜ、興味関心を示しつつ、他方で(妥当かどうかは知りませんが)と前置きして「空虚なファッショ性」とまでいえてしまえるのか・・・?

 

もちろん一般論としてどんなところからもファッショは発生できるわけで,その一可能性としてはないともいえないですよ。でも

>これは、その程度の法律感覚や政治判断もなしに、なんらの<有効性>もない行為によって逮捕されちゃうナイーブすぎる若者たち、なんてあんまり想像したくもないなよなあ…という、あくまで子供じみたオジサンの主観的願望にすぎませんよ。

 

と仮の話しからファッショ性まで引き出し、「想像したくない」という主観的願望すぎないと逃げをうつとは・・・・。もちろん噛み合わない私と話すのが面倒だって事が大きいのでしょうけど・・・。

 

 わたしは「子供じみたオジサンの主観的願望」も知識や天然の<自立>主義をまとった「空虚なファッショ性」ということが可能だと思うますが・・。妥当かどうか知りませんが(苦笑)。

 

 というか、ファッショでさえ「他者への想像力が欠如」して「力」として成り立つわけではない。「他者への想像力が欠如」した時、自分の「力」を使い誤る。これは既成左翼であれ、「運動の素人で〜〜す」も創価学会も私もみな同じでしょう。

 

 基本的にいつそんな契約したかは知らないが,そういう我々個々の力を「委任」したことになっているのが<権力>だと思ってます。

 こういうところから<権力>を見た時「(相手が誰であれ)不当は逮捕は許せない」「そういう風に力を使えなどと「委任」した覚えはないぞ!」と言いたいし,権力をどう哲学的に捉えたらいいのかわからなくとも「対策は打っておくべきでしょう。」と思う。

 

 まして一緒に集会を造ったものであれば、カンパや不当逮捕糾弾に連名するくらいはしますよ。

 

 高望みさんの「その程度の法律感覚や政治判断もなしに、なんらの<有効性>もない行為によって逮捕されちゃうナイーブすぎる若者たち、なんてあんまり想像したくもないなよなあ…」というナイーブさは理解できます。(法律感覚云々は当ってないと思いながらも)そこまで俯瞰的,部外者的に客観性を保持されて偉いな〜〜と思います。

 

でも、権力がその力を使い誤っているのをなんども目の当たりにすれば,「<委任した>力を返せ!」と手続きなしに振舞ってもさほどおかしくないんじゃないかな?と思いますよ。だっていつどういう手続きで私たちが権力に力を委任したんでしょうか?

 

そういう素朴な言葉さえ紡げずにいる人もいるって想像してみてはいかがでしょうか?

 

おっと「イマジン」みたいな台詞を吐いてしまったね、これも何かの揶揄ではなくマジでそう思いますよ。

--------------------------------------------------------------------------------

付加えのための自己レス 投稿者:たみちゃん  投稿日: 5月 7日(水)01時32分49秒

 

・・この方天然の「自立」主義者なので、コケオドシの「権力」論では恫喝にならないよってことでした。

--------------------------------------------------------------------------------

まったくもって、 投稿者:たみちゃん  投稿日: 5月 7日(水)00時28分34秒

 

気分の乗らないレスなんですが。いつのまにか、議論の相手は、ワタシ・・・なんですね。

 

>>というところが、まさに「対自化」されてない部分じゃないでしょうか?

>>ここは私も、ザーさんが具体的になぜそれが問題になるといっているのかよくわからないところです。それを問題として語るあなたはどこに身を置いている?

 

 「ミネルヴァの梟」なんてあったので、つい「対自化」なんて左翼の好きなコトバ使ってしまったのですが、そのコトバの”気分”のように、もっと抽象的な質問のつもりだったのです。

つまり、

 

>>これは暴言ですよ。互いが勝手にやって被弾圧者を生んだり,それを無視したり、あげくに「警察とお食事」とまでなっているのですから。

 

というところ、

 

「参加者」の一人に過ぎないザーカイさんが、「これは暴言」と外野を恫喝できるほど、対権力問題を何故そこまで絶対化しうるのか、ということが疑問でした。

 

<1>ザーカイさん向けに具体的な問題に即していえば、

@主催者の責任問題を問えるのでしょうか?(参考までに純法的には問えないでしょう)事後的に明らかになった「会食問題」と、「不当弾圧」の因果関係は”今のところ”明らかではありませんよね?私の感覚では、「不当弾圧」に関してはまったく責任は問えないと思ってます。

A「信頼」関係のことをいうなら、参加者の突き上げによって、この先お互いのイメージを出し合って相違を確認していくしかない、ということですよね。その端緒についたばかり。この辺はザーカイさんよくお解かりだから釈迦に説法でしょう。

 

それはさておき、本質的に問題にしたかったのは、

 

<2>「対権力」問題が絶対化してしまう左翼的な心性のことです。

 二次会等の議論の「お子様」扱いや無前提の罵倒は、その辺に起因していると思いませんか?「私たち」がそうしてしまえると思い込んでいるような、「対権力」問題について”万人に対して普遍的”に言える(無前提に恫喝しうる)絶対的なものはあるのでしょうか、それはなんでしょう?そこから説き起こしている人はいませんね。

 このへんも実はザーカイさん自身はよ〜くわかっていて、「権力・警察」観のちがいもWPNとのスリ合わせ事項だなということは、よくご承知と思います。

 

で、ザーカイさんがホントのホントに突っ込みたかったところは

 

<3>高望み氏が「アナ黒系」のファッショへの可能性を言い当て、あたかもそれを理由に切り捨てていることが、同じく「盾」のこっちにいるものとしては捨ておけん、ということなのでしょう、か?

・・・だから、そこは、ほれ、この方天然だから。。。で、天然の・・なに?

編集済

--------------------------------------------------------------------------------

焚火派板からの自己転載 投稿者:ザーカイ  投稿日: 5月 6日(火)23時28分43秒

 

高田(「氏」が抜けていたので追加:転載者)との話し合いの日程・場所が決まりました。詳細はメールにてお教えします。(隠すようなものではないけど一応ね)。参加希望,または御意見待っています。たくさんの人が参加できる訳ではないですが,全くのクローズドにするつもりもないので呼びかけた次第です。

 

もちろんご意見についてはココ(焚火派板)http://6631.teacup.com/takibiha/bbsでもザー板でも結構です。

 

連絡先hansen_139@hotmail.com

また不肖私への苦言や懸念はmetaphor44@hotmail.comまで。平野先輩からの苦言も待ってまーす(^^)

 

 

http://8018.teacup.com/zakai/bbs

--------------------------------------------------------------------------------

(無題) 投稿者:ザーカイ  投稿日: 5月 5日(月)13時12分39秒

 

>>これは暴言ですよ。互いが勝手にやって被弾圧者を生んだり,それを無視したり、あげくに「警察とお食事」とまでなっているのですから。

>というところが、まさに「対自化」されてない部分じゃないでしょうか?

>ここは私も、ザーさんが具体的になぜそれが問題になるといっているのかよくわからないところです。

 

 これは私への質問と読んで良いでしょうか?答えはすでにたみちゃんのカキコの中にありますよ。

>「そもそも主催者と参加者の関係性(=合意内容)はなんなのか」

と。

 

>それを問題として語るあなたはどこに身を置いている?

 

 ですからザーカイの立場とは「参加者」ということになりますね。

 

>ザーさんが具体的になぜそれが問題になるといっているのかよくわからないところです。

 

 簡単な話です。「そもそも主催者と参加者の関係性(=合意内容)はなんなのか」が明確にされていない。

「自己責任と他者へのリスペクトを持って」とWPNサイトには書かれています。

この内実が本当に求められているわけです。

 みな自己責任で参加し行動している訳(主催者には参加させる強制力はない)だけど,警察の勝手な意図で逮捕されることもある。

 その時主催者が「勝手に参加したんでしょ?後は知らないよ」では、本当に反戦の声が広がるのか?という不安だけが残ります。主催者と参加者(参加する行為自体が主催者への信頼の表われ)の信頼関係が揺らぐわけです。主催者はどういう内容で不特定多数の参加者を信頼しているのか不明です。

「不当逮捕され、そしてこの間で最長18日間も代用監獄に監禁され拘留理由開示も開かず,釈放。」

 

こういうことも甘んじて自己責任で対応しろ!ということなのかもしれません。

 

 しかし、大衆運動の集会デモが主催者だけで成立するものではない。参加者に自己責任があるように、主催者側の責任というものがあるでしょう。

集会参加を呼び掛け,たくさんの人が集めた(参加者の信頼をたくさん集めた)者としてその信頼にこたえる必要があると思うのです。

 弾圧を受けたところは自己責任で救対組んで対応しています。充分主催者の期待している自己責任は果たしています。

 

 あとは「主催者側がどう責任を果たすのか?」だけです。

 

 また警察と忘年会までやっていたチャンスのメンバーが、今年一月に結成されたWPNの実行委であった。

 これも不信感を呼んでいるわけで,WPNはこれまでの参加者側への一方的な自己責任・参加やカンパ協力に甘えていたのですからこれにもキチンと応えないといけないでしょう。

 

 繰言になるかもしれませんが、私は参加者として,またメット問題当該としてそれらをネットで議論するだけではなく,現実社会で問いたいわけです。

 ま、個人とはいえ実行委として「メット外せ」とか言ってきた高田本人が会って話すって言うくらいですから、端から諦めたり,陰謀論めいた憶測をネットで展開するだけではもったいないと思います。

 

 私も参加者個人としてしか、高田氏と会えないわけですが,私自身もいろんな人に会い,WPNへの不信と期待を聞く場を持って来ました。それら全てを代表できませんが,できるだけ伝え,高田氏に「ザーカイと言うヘンテコな奴にあって悪口言われただけだった・・・」とならないようにしたいものですね。

--------------------------------------------------------------------------------

いえいえ、 投稿者:高望み  投稿日: 5月 5日(月)01時23分01秒

 

ザーカイさんの書き込みでわかりにくい部分は、結局↓がらみに集約されていますから、ズレてはいないと思います。

 

>>今度はザーさんの味方につかないと・・・

 

 交通整理は中立の立場でお願いしますよ…

--------------------------------------------------------------------------------

こんな時間に横レス 投稿者:たみちゃん  投稿日: 5月 5日(月)01時10分40秒

 

ちょっと脱線

>不当に逮捕されたり、集会主催者が見殺しにしてなかったことのように振舞って良いとおっしゃるわけなのか?

 

 このカキコで思い出したのだけれど、山女魚氏と私の共通の親しい友人が、こともなげに言ったのです。「主催者が(メットを)ダメといっているんだから、そこに反論の余地はないでしょ。どういう反論の仕方があるわけ?」純法的契約関係に解釈すればそうなるんですよね。それがあるから、そもそも主催者と参加者の関係性(=合意内容)はなんなのか、それはさておいてもはっきりさせられることはなにかという、山女魚氏の発言になるわけです。

 

 で、その先の

>これは暴言ですよ。互いが勝手にやって被弾圧者を生んだり,それを無視したり、あげくに「警察とお食事」とまでなっているのですから。

 

というところが、まさに「対自化」されてない部分じゃないでしょうか?

ここは私も、ザーさんが具体的になぜそれが問題になるといっているのかよくわからないところです。それを問題として語るあなたはどこに身を置いている?

 

おっと、高望みさんこんばんは。あ、なんかズレたかな〜。

今度はザーさんの味方につかないと・・・

編集済

--------------------------------------------------------------------------------

(無題) 投稿者:高望み  投稿日: 5月 5日(月)01時04分43秒

 

 すでに書いているように、↓ザーカイさんのいってることについては、はじめからこっちには特段の不審の念はないんですよ。だから、いろいろ補足説明されても、今更べつにどうって事はないんですね。

 

 <建設的な問題提起>と思った書き込み;

(略)

*最初の信頼にしがみつけ! 投稿者:ザーカイ  投稿日: 5月 1日(木)23時32分46秒

(略)

 

 「赤黒系」とやらについては、別に興味なんかないのですが、私にとって議論の流れがみえにくくなっている要素なので語義説明をもとめたただけです。説明する立場にないのなら別にかまいません。わたしも、わざわざ語義詮索する暇な立場にはありません。

 

 そこで、以後、「赤黒系」という謎めいた符丁で語られるものをめぐって、曖昧な情報に基づいてとやかくいうことは、差し控えること致します。すると、この問題についての流れがつかみきれないということになるので、この問題については事実認識が必要なレベルにおいては発言をいっさい差し控えたいと思います。ただ、そうはいっても、いかなる内容であれ議論の提示の仕方、のようなレベルについて感想を述べることは可能だと思います。

 

 なお、いままで書き込んできたことには、「赤黒系」という言葉から当方が勝手に連想したアナ黒系にかんすることだということは、明確に書いておいたつもりです。

 

 で、それについてザーカイさんが「おまけ」で書いていることは、

>>大人の発言とは思えませんし,想像力や感性の欠如を感じずにはいられませんね。

 

 というのですが、こちらが土台が仮定の話に基づいてるので、噛み合いませんね。当方は、はじめから、日本国憲法と刑事訴訟法に(基本的な程度において十二分に)まもられて、自由な意志決定として逮捕覚悟でやってるんでしょ、という、それこそ子供じみた「想像力や感性の欠如」を出発点にして書き込んでいるのですから。これは、その程度の法律感覚や政治判断もなしに、なんらの<有効性>もない行為によって逮捕されちゃうナイーブすぎる若者たち、なんてあんまり想像したくもないなよなあ…という、あくまで子供じみたオジサンの主観的願望にすぎませんよ。

 

 また、これはもっと空想が過ぎるので、今まで書いていないし、ここでは当方の空想の話しとしてついでに書いとくだけですけど、チャンスとかいうグループの一部が、むかしラッサールという人がビスマルクとボス交してうまくやろうとしたとか、そういった例は歴史上たくさんあって、手ひどく失敗した例も沢山あるけど、そうでないケースもあるのであって、先験的にだめと決めつけられるかどうかはやってみなけりゃわからんじゃないの、というのもあります。あくまでも仮定と空想の自己展開としてですよ。

 

 運動の言葉というのは、現場において当事者ごとに異なる「事実」に立脚しながら組み立てて行かねばならないのでしょうけど、思想的な言葉というのは、どこかで多かれ少なかれそうしたレベルを「捨象」して空想へと転移するという「暴力」を不可避に媒介としていますよね。で、そういったことは「一通り意見が出尽くしてから後知恵」でやるものだというのは、まったくザーカイさんの言う通りですよ。同じことを「ミネルヴァの梟は黄昏にとびたつ」なんてカッコつけていった哲学者もいましたけどね。

編集済

--------------------------------------------------------------------------------

おまけ 投稿者:ザーカイ  投稿日: 5月 4日(日)23時52分58秒

 

 脱線しますが,高望みさんは赤黒系(WPN主催者内用語)がアナ黒系で、空虚なファッショ性を潜在的に持っていたら、不当に逮捕されたり、集会主催者が見殺しにしてなかったことのように振舞って良いとおっしゃるわけなのか?と疑ってしまいます。

 もちろんそうではないでしょうが、そう読めてしまう理由は

>そして、そういった人々が「勝手に」「個人参加」してきて弾圧受けて実行委は何もしてくれないと言っているのと、実行委の一部にはあんな連中は弾圧されて当然と言わんばかりなのとが対立的な構図となっているということなんですかね。どっちの勝手な言い分も日本国憲法の思想・言論の自由で許されているんじゃないですか?

 

といった発言のあとのカキコで

> *なお、日本国憲法で認められている自由なんだから、という言い回しは、「勝手にすれば」という時にしか使えません、私は。

 

と書いているからです。これは暴言ですよ。互いが勝手にやって被弾圧者を生んだり,それを無視したり、あげくに「警察とお食事」とまでなっているのですから。大人の発言とは思えませんし,想像力や感性の欠如を感じずにはいられませんね。

よって

>>それが職業柄であれば,一通り意見が出尽くしてから後知恵的に一捻りしたしたもの書いた方が無難ですよ。恥じ掻かなくてすむ一番の処世術。

 

と繰り返さなければなりますまい。

 

 さらに繰り返せば,ボタンの掛け違いみたいなやり取りをしてしまったのでもう飽き飽きでしょうが,「もっと別な問題が・・・」という問題意識が*まだある*のであれば,わたしやその他がWPNの実行委でもある高田と対話するので、その報告なども見てネタにして下さいな。

 

 繰り返す理由を言えば,私も対話をすれば確実に内部者で、外からの視点を失います。外からの視点は後知恵にしかならないわけで・・・。

 理想をいえば,運動の内外の壁を低くしたいものです。

--------------------------------------------------------------------------------

(無題) 投稿者:ザーカイ  投稿日: 5月 4日(日)23時51分16秒

 

>議論の流れの中で位置づけがよくわからないのが「赤黒系」という部分です。これを単純にアナ黒系と割り切ってしまえば(妥当かどうかは知りませんが)、(以下省略)

 

(妥当かどうかは知りませんが)というのであれば、直接聞いてみてはいかがですか?そのためにネットがあるわけですから。反戦青年救援会サイトあたりにね。

 理想は直接集会に行って聞いてみればいいと思いますけどね。そういう手間を省くことは「精神の退廃」とは関係ないですか?

 

 ちなみに私は自分を「赤黒系である」という認識などありません。ただし、WPN主催の集会では私は同じ赤黒の旗がはためくデモ隊列にいたことはすでに報告した通り。

それは単純な理由で、警察の不当な荷物チャックは見逃して「メットを脱げ!」という実行委がいて、寄る辺なく集会場を見回して、メットもありな隊列がひとつあったということだけです。

 

よって説明する立場にありませんね。

 

>ようするに国家=階級支配の抑圧機関説みたいなマンガチックな発想や、さらにそれを四コマ・マンガにしたような、「機動隊の盾の向こうに…」的な発想を、どのくらい相対化しておられるのか、ということです。

 

「機動隊の盾の向こうに…」的な発想・・・にはトント縁がありませんね,私は。だいたい私が運動始めてから,一度だって国会突入して実力で法案阻止するみたいな集会がありませんでしたから。

 だいたい当時国会に突入してどうするつもりだったんだろ〜〜というのが今なおある素朴な疑問です。ただし、そのマンガチックな表現のいわんとしていることは「なんとなく」わかりますよ。

非常にわかりやすい権力の顔のひとつですからね、機動隊の盾は。

 

>その時点時点で、さまざまな政治情勢、法制度の構造、マスコミ世論的な動向、民衆の感情等々の絡まり合いのなかで、相対的にみられなくてはならないということです。

 

 その通りですが,「その時点時点にどう関わるか(関わらないも含む)?」がなければ、あなたと私のこういう議論自体なかったんじゃないですか?

 

 たみちゃんのいうように「それは視点の違い」といえばそれきりですが,まず「反戦運動を日本でも大きくしたいね」というところからWPNが結成され,今や50団体を数えているほど大きくなったが,目の前で自分の主催した集会の参加者が逮捕されているにも関わらず,それには言及せず「四万人集まった」だのと宣伝。全く救援もカンパの呼びかけもなく見捨てる。

そしてチャンスMLで発覚した通り,チャンスからWPN実行委としてでている人間が、警察と食事をしていた。そこで何が話されたかは、あくまでチャンスの当事者の発言だけであるため,疑心暗鬼が深まる。もちろん警察が「彼らからこんな話を聞いている」と言ったとしてそれが真実か否かもわからない。

 そしてWPNのサイトみても一切言及していない。

これが運動の現状です。

 

 反戦運動にとっては警察の役割は、あくまで道路の使用許可を先着順で決めるだけの行政機関でしかない。それ以上に関わりあるべきではないと思う。警察が交通整理するのであれば、歩行者優先なのだから走る凶器=車を規制すべきである、とすでに書いてきています。

 

 警察には道路許可や交通整理という市民生活の利便性とは別の側面があり、それは政府に反対する勢力の情報収集、そして反対者の分断破壊もやっている。

 

 今問題になっているのは世界を語り尽くす思想みたいな大きな話ではなく,

◎反戦運動にとって破壊者たる側面も持つ警察の弾圧・工作(?)とWPNがどう関わるか?

◎そしてWPNに参加という形ではあれ協力してきた人間はどうすれば、解決(それぞれの信頼回復と対警察対策の共有化など)に協力できるか?

 

です。今だって「その時点時点」の一時点でもあるわけですから。

--------------------------------------------------------------------------------

(無題) 投稿者:高望み  投稿日: 5月 4日(日)20時35分01秒

 

>>政治思想的立場、対「権力」観が、どこまで既成左>翼的なものが対自化されていて、どこまでがそうでないのかが非常にわかりにくいというのが率>直な感想です。

 >たぶんそれはお互いに・・・と言う事でしょうね。

 

 うーん、自分では『超資本主義の現在』はじめ、随分と明確にしているつもりなんですが。ツボが一人一人違うので、この点について言っていればスタンスが明確のはず、というところが違うのかもしれませんねえ。

 

>>しかし,どうなんでしょう、思想的立脚点などが先に存在するってことはあるんでしょうか?

 

 「政治思想」という言葉ではニュアンスが違っていたかもしれません。

 

 ようするに国家=階級支配の抑圧機関説みたいなマンガチックな発想や、さらにそれを四コマ・マンガにしたような、「機動隊の盾の向こうに…」的な発想を、どのくらい相対化しておられるのか、ということです。むろん、相対化、といっているのですから、国家権力という巨大組織のオソロシさのなかに、そうした側面がまったく存在しないなどということを言っているわけではありません。その時点時点で、さまざまな政治情勢、法制度の構造、マスコミ世論的な動向、民衆の感情等々の絡まり合いのなかで、相対的にみられなくてはならないということです。

 

 また、議論の流れの中で位置づけがよくわからないのが「赤黒系」という部分です。これを単純にアナ黒系と割り切ってしまえば(それが妥当かどうかは知りませんが)、とうの昔に破綻したマルクス・レーニン主義に、はるか昔に論破されていたアナキズムのようなアナクロニズムが、空洞の思想を過激な行動スタイルで包んでも、そこにあるのは空虚なファッション性だけではないでしょうか。

 昔からのダジャレで、ファッションはファッショなんていうくだらないのがありますけど、アナキズムのファッション性がファシズムに通底しているというのは、わりとリアリティがある事じゃないですか。

 

 もし、窪塚クンのようなカッコのよい若者たちがネオナチみたいな方向に惹かれるのは面白くないから、対抗的にカッコのいいアナキズムにも頑張って貰いたい、などということでエールを贈るとしたら、そういうご都合主義的な安直さは私にとって精神の頽廃となりそうです。そういうご都合主義にひきずられるような気分になるのが、内面的にはいやだということがあります。

 

 *なお、日本国憲法で認められている自由なんだから、という言い回しは、「勝手にすれば」という時にしか使えません、私には。

 

編集済--------------------------------------------------------------------------------

あれこれと 投稿者:ザーカイ  投稿日: 5月 4日(日)19時47分46秒

 

たみちゃんへ

>>実は風通しの悪さは「ほぼ」不在といっていい日本の知識人と生活者(活動家含む)との間に共通言語のなさ・溝だと思うんですよ。

 

>というのは日本の<言葉・知識>についてで、高望みさんが書いていることと重なりますかね。

 

つーか,影響受けてますよ。

 

高望みさんへ

>ザーカイさんにしても野次馬さんにしても、政治思想的立場、対「権力」観が、どこまで既成左>翼的なものが対自化されていて、どこまでがそうでないのかが非常にわかりにくいというのが率>直な感想です。

 

 たぶんそれはお互いに・・・と言う事でしょうね。人間がそんなに簡単にわかったら怖い。だから高田や早稲田の「あかね」でヒロセに会う(ヒロセがでるだめ連系イベントを見に行くだけ)わけですし。

 

 本旨に戻すと、高望みさんより私のほうが立脚点をはっきりさせていない側にいると思ってます。思想的営為とは遠いところにいると自覚してますし・・・。

 チャンスの「警察とのお食事」の一件を眺めて、思想等「信念」にまつわるものが「化粧品や装飾品よりは*ほんの少しだけ*大事なものなのかもしれない」、と思ったりもしました。

 でも、*ほんの少しだけ*ですが。

 

 しかし,どうなんでしょう、思想的立脚点などが先に存在するってことはあるんでしょうか?

 

 アラスジ決めて描いたマンガでさえ,キャラクターが一人歩きしてストーリー展開が変わるということさえあるのに・・・。

 ザー板でデモについて「生き物」「Live」と書きましたが,デモに限らずではないでしょうか?だからポジションも思想的立場も極めて相対的なものだと思います。

 

 なのに、私は「知識人」「生活者」という曖昧な言葉であなたとわたしのポジション分け(役割分担)を設定しました。それはある程度は他者や環境に決定され(いや,自分で望んでそういう環境に飛びこんだのか?)、それに縛られると思うからです。

 

 逆に言えば,相対的でありながらも他者や環境に規定される「ポジション」があるからこそ,人間が安心して生きていられるわけでもあります。全部自給自足しなくてすむ=協力・相互扶助が必要という意味において。

 

 さてまた私個人の立場に話を引き戻すと,ある社会やコミュニティーで欠如し,かつ自分が少しは協力できるかな?と思えることにエネルギーを注ぎたい(それが害悪垂れ流しになるかもしれないが)し,その関係で初めて*ほんの少し*対「権力」観などが語れる(見せられる?)ぐらいにしか考えていない。

 

 正直な話、キレイに整理整頓した理屈など開陳できるとは思っていません。

 

 ですから行為・行動は下手な思いこみの文章でも報告しますから、そこから読み解いてくださいまし。それが先に書いた「ネタ」というものです。

 

#きちんと噛み合った話になっているかわかりませんが、コレでザーカイのコミュニケーション能力に不安を感じた人はhansen_139@hotmail.com(投稿者名をクリック!)まで一報下さい。高田氏との会見に一緒に来ていただいてOKです(つーかおねがい!!)

http://8018.teacup.com/zakai/bbs

--------------------------------------------------------------------------------

つまり 投稿者:高望み  投稿日: 5月 4日(日)16時31分53秒

 

↓の書き込み(あ、焚き火派の板、て書き落としていますね)を<建設的な問題提起>と思い、それに対するいくつかのレスが、何ともつまらないことをいうものだ、と思ったと言うことが、ぶっちゃけたところです。

 でも、それら(<建設的な問題提起>)を書き込んでいる人たちの全体的な考え方も、本当はみえてないので、非常にぼかした印象批評しかできないわけです。

編集済

--------------------------------------------------------------------------------

まずは 投稿者:高望み  投稿日: 5月 4日(日)16時22分13秒

 

 中一日おいてアクセスしたら、ザーさんとたみちゃんの相互的な書き込みがありますした。

 珍しく(?)、たみちゃんが私の立場を代弁してくれてる部分もありますね^^それに対して、ザーカイさんがどのように受け取っているのかということも、必ずしも当方にはわからないこともあるので、どこから手を付けたらいいのかが難しい感じですね。

 

 私のこの件に関する情報了解のレベルは、ロムしている各種掲示板を斜め読みしたことからえられただけの低いものだし、それ以上に高めようという意欲もないことを前提として明確にしておきたいと思います。それで、数日前までの段階で、端的に言って次のような印象をもちまして、それを抽象的な印象批評として書き込みました。

 

 <建設的な問題提起>と思った書き込み;

 *お薦め投稿 投稿者:野次馬  投稿日: 5月 1日(木)23時55分34秒

4トロ同窓会二次会板に、小ブル社民さんが、今回の一連の問題について洞察に富んだ、とても長編の、投稿をされています。議論のたたき台として重要だと思いますので、皆様にもお薦めします。

http://6305.teacup.com/mappen/bbs?

 

 *最初の信頼にしがみつけ! 投稿者:ザーカイ  投稿日: 5月 1日(木)23時32分46秒

 

 *高田氏との話し合いの件 投稿者:赤い山女魚  投稿日: 4月30日(水)14時30分38秒

 

 もっとも、赤い〜さんの立場はシンプルでわかりやすい(ようにみえる)のですが、ザーカイさんにしても野次馬さんにしても、政治思想的立場、対「権力」観が、どこまで既成左翼的なものが対自化されていて、どこまでがそうでないのかが非常にわかりにくいというのが率直な感想です。

 まずはこのぐらいのところから手探り。

編集済

--------------------------------------------------------------------------------

ザーカイさんへ 投稿者:たみちゃん  投稿日: 5月 4日(日)11時55分06秒

 

私のカキコについて書かれていたので・・・

 

>互いにその役割を越えねばと思わせるような思想を編み出すべくがんばるとか・・・

 それにしてもまずメカニズムを解明して・・・

>>・・・両方やれる吉本隆明のような超人ではないですからね,私は。

 

 私がこれを、ザーさんに対していったわけではないのは明白だと思いましたが。

 

 にしても、多少明らかになったのは、ザーさんが高望みさんのポジションを認識しつつ「知識人」がこうあるべきと語っているらしいことでしょうか。

 「知識人」とか「生活者」というとらえ方自体が妥当かどうかは措くとして、しかし、ザーさんのいう「知識人」はそういう個別具体的なことは解明しないよなぁ、とは思います。

 もっと言えば、私は、自分の興味関心の向かわない方面を解明しないで欲しいとさえ思うのです。

 

>実は風通しの悪さは「ほぼ」不在といっていい日本の知識人と生活者(活動家含む)との間に共通言語のなさ・溝だと思うんですよ。

 

というのは日本の<言葉・知識>についてで、高望みさんが書いていることと重なりますかね。

 

>>(この板の過去ログから)

・・・とりあえず、さすがにこれ以上は眠るにも寝られず、かといって文学や対幻想の世界に埋没しているのが何より、というタイプでもなければ、何をどのようにしていったらよいのか、ということは、吉本さんから<自立>して面々のはからいにて考えなくては仕様がなくなったわけですね。

 

という高望み発言もありました。ご参考までに。

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送